日付
2025年8月14日
場所
岩戸神社
神社には、訪れる人との相性があると云われる。
ゆうしゃとその父と一緒に岩戸神社へ向かった。鳥居をくぐった瞬間、空気が変わったように感じた。ひんやりとしていて、普段の世界から少し離れた場所に入ったような感覚だった。参道を歩くうちに、周囲の音が遠のき、森の奥へ吸い込まれていくような静寂に包まれていた。先ほどまでせわしなく鳴いていたはずの蝉の声さえ聞こえず、ただ雨水がしたたり落ちるひんやりとした音しかない。
参道でイシガキトカゲを数匹見つけた。素早く走り抜ける姿に目を奪われた。なぜか小さな生き物とのその出会いが妙に心に残った。
モンシロチョウはふわふわと漂うように現れ、気づけば姿を消していた。その直後、黒いアゲハが目の前を横切った。真っ黒なその姿は、この世のものではないような幻想的な印象を与えた。滞在中、この黒いアゲハを何度も見かけた。
それから展望台に行く道中、海辺でトンビが旋回しているのを見た。群れになって高く舞い上がり、急に下降しては海を見下ろす。鋭さと自由さが同居した姿に、しばらく見入ってしまった。思わず声を出して呼び掛けていた。
夜になり、朝に見た夢を思い出した。赤いマグマのような岩肌を持つドラゴンに乗り、空を飛びまわる夢だ。昼間に出会った生き物たちと、その夢の断片がどこか自然に重なり合い、不思議な余韻を感じた。
今日を振り返ると、ただの参拝や散策ではなかった気がする。森や海で出会った存在たちが、それぞれに言葉を持たないまま何かを伝えてくれていたように思う。
このような場所は「安心と高揚が同居する場所」だと思う。森の奥深くにある祠や大樹は落ち着きを与えてくれる一方で、そこに流れる気配はただ穏やかなだけではなく、胸を震わせるような不思議な力を持っていた。
自分にとって、ここは癒しと刺激の両方を与えてくれる特別な場であり、相性が良いと素直に感じられる場所だった。偶然見つけて私が行きたいと言った場所だったが、どこか惹かれてしまう場所には、縁があるのだろうと思った。

神社には、訪れる人との相性があると云われる。
ある人にとっては、そこに立った瞬間に心がほどけるような安らぎを覚える場所であり、また別の人にとっては、どうしても馴染めず、重たさや緊張を感じてしまう場所でもある。
その理由は単純ではない。土地そのものが持つ気配や風の流れ、地形や水脈、長い年月のあいだに積み重ねられた祈りの記憶。そうした要素が複雑に絡み響きあい、訪れる者の感性や心の状態に反射する。だから「合う」「合わない」といった感覚は、偶然のようでいて必然なのだろう。
旅先で立ち寄った神社に、不思議な親しみを覚えることがある。木立の影に守られているように感じたり、鳥居をくぐるだけで呼吸が深くなることもある。逆に、理由はわからぬまま、どこか遠ざけられているように感じる場所もある。その相性は、善し悪しというよりも、響きが合うかどうかの違いでしかない。
人は土地に触れ、土地は人を映す。神社という場所は、その関係を凝縮して示す舞台なのかもしれない。だからこそ、誰にでも「自分にとっての神社」があるのだと思う。
Q,芥川